天満天神

神名 菅原道真公(天満大自在天神)

菅原道真公(菅公)は平安時代に京の都で生まれ、幼少時より勉学に励み、秀才の呼び声も高く、また武芸の道にも才能を表された。

文武両道に優れた菅公は、異例の出世を遂げ、帝より右大臣の位を賜るまでになったが、時の左大臣・藤原時平の策略により、無実の罪で九州太宰府に左遷されることとなった。大宰府にあっても帝を逆恨みするとなく、ひたすらに日本と皇室の安泰を祈り続けるも、延喜3年(903)2月25日、失意の内に59歳のご生涯を終え、その墓所が現在の太宰府天満宮となった。

  

天神信仰

神として崇められた菅原道真公(菅公)の神霊に対する信仰。

菅公が、左遷先の大宰府で亡くなった後、都では、菅公の左遷を策略した藤原氏の一族が相次いで落雷によって死去し、さらに日蝕・地震・彗星・落雷などの天変地異、干ばつ、洪水などの災害等による農作物の被害をはじめ、さらには疫病が大流行して、世の人々は不安に陥った。

菅公の怒りが雷の形で現れると信じた人々の信仰は、藤原氏をはじめとする都の貴族たちには恐怖と畏怖の念で捉えられ、その怨霊を鎮めるため京都に北野天満宮を建立して祀ったが、農民には水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)として、稲の実りを授ける神として広く全国に崇敬されるようになり、後に「天満大自在天神」と諡名されることとなった。

やがて、菅公の学問に対する偉大な事績やその人柄から、文学・詩歌・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになり、現代においては、学業成就、合格祈願、立身出世の守り神として信仰を集めている。